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横浜簡易裁判所 昭和56年(ろ)83号 判決

主文

被告人は、無罪。

理由

一  本件公訴事実の要旨

被告人は、日本電信電話公社(以下単に公社という。)から架設を受けている横浜市西区中央二丁目四六番二一号所在の有限会社ステフアノ商会事務所内の加入電話回線に、同回線電話(受信側)の自動交換装置から、その通話先電話(発信側)の自動交換装置内度数計器を作動させるために発信されるべき応答信号(以下通信という。)を妨害する機能を有する「マジツクホン」と称する電気機器を取付け使用して公社の通信を妨害するとともに、公社の右度数計器作動に基づく発信側電話に対する通話料金の適性な計算課金業務を不能にさせてこれを妨害しようと企て、昭和五五年一〇月一日ころ、右有限会社ステフアノ商会事務所に設置された公社の加入電話である横浜西電報電話局(〇四五)三二四局三四六二番の電話回線に右「マジツクホン」を取付け使用して、この電話に他の電話(発信側)から通話の着信があつた際の通信の送出を妨げるとともに、右度数計器の作動を不能にし、もつて、公社の有線電気通信を妨害するとともに、偽計を用いて公社の通話先電話(発信側)に対する通話料金課金業務を妨害したものである。

二  無罪という結論をとつた理由

(一)  本件の背景と包括的評価

関係証拠によれば、マジツクホンなる機器が、電々公社の課金業務を妨害するものであることは明白であり、この種機器が製造、販売され、現実に全国的規模で使用されることによつてもたらされる弊害は、けだし、甚大である。ところで、こうした理不尽な事態の発現が虞れられた原因は、この種機器の製造及び販売であると拐えることができる。ところで、この肝心な事象に対し、刑罰法令は、これを直接処罰の対象として規制していないのが現状である。いかなる反社会的行為であろうとも、法によつて規制されていないものは、処罰の対象とすることができないことは罪刑法定主義の建前から言つて当然のことである。

逆に言えば、そのような法の規制がないことに着目し、法の盲点をついて、この種機器が製造され、かつ、販売されるといつた事態が発現したとみられなくもない。勿論このような態度が許されるものではないが、反面、このような法の不備を問題としないで、その機器を使用したという現象面を拐えて、本来直接規制の対象とされていなかつた本件機器の製造業者、販売業者の撲滅をはかろうとした検察官の態度は、その意図は諒とするも、罪刑法定主義の建前からみて、若干の無理があることは否めない事実であろう。現に、元凶である機器の製造業者や販売業者を直接取り締りの対象とすることができないため、その機器を使用した人を本犯とする(これにも後に触れるとおり相当無理がある。)それへの幇助犯として法律構成をし、漸く訴追の目的を達成している事実からみても、この間の消息は自ら明らかである。本来刑法理論からすれば、本犯はその責任が重く、幇助犯は、その責任が軽いのが自然である。ここでは、その理論が全くあてはまらず、本来その責任が重かるべき製造業者や販売業者が幇助犯となるという奇現象を呈している。まさに、本末顛倒と謂わざるを得ない。もつとも、この機器の使用者において、その機器の製造や販売を使嗾したり、或は積極的にそれに関与した事実や、起訴当時、既にこの種機器が各地において使用を開始され、是非ともその取り締りをしなければならない様な客観的情勢の発現をみたり、或は使用者において、この種機器を反覆継続して使用する意図が明白であつたりすれば、仮令、その使用が一回であつても、その刑事責任を軽く見ることはできないであろう。ところで、本件の場合、被告人がこの種機器の製造や販売に積極的に関与した事実はなく、この機器の購入も、その売人との個人的な関係から昔の不義理を穴埋めしようとする気持からなされたものであるし、更には本件が起訴された当時既にこの種機器の製造及び販売の反社会性が社会問題となり、マスコミが大々的に報道したため、この種機器の製造及び販売は、ほぼ完全にその門戸を閉ざされ、この種機器の使用による電々公社の電話料金徴収事務が妨害される虞れはほぼ完全に終熄する見込であつた。本件を観る場合、これらの諸因子を充分吟味してみる必要がある。

次に、本件が立件されるに至つた事情、殊に、捜査段階における経緯をみるに、関係証拠によると、捜査機関としては、この種機器の使用による電話料金の課金業務が妨害されることを鎮圧するためには、是非とも、この種機器の製造業者及び販売業者を撲滅しなければならないと考えたが、前叙のとおり、法の不備のため、之を直接正犯として取り締ることができないため、故意の立証や法の解釈に多少不自然なところであつたが、その機器の使用者を有線電気通信法違反、偽計業務妨害罪として立件し、その証拠物として本件機器を押収し、更には右事件を正犯とする幇助犯という法律構成を創りあげ、製造業者、販売業者の責任を追及し、その目的を達成しようと試みた。そしてその目的を告げ絶対迷惑はかけないからと公約した上、被告人にその協力を求めたというのが実情である。そこで、被告人も社会正義のため、その要請を快く受け容れ、積極的に自ら本件機器をテストするため社員を使つた事実を認め、更に、本件機器を証拠物として任意提出することをも承諾したものである。この段階では、よもや、被告人自身、その刑事責任を追及され、正式に起訴されるとは思いもよらないことであつたと推認される。そもそも、テストのための使用を秘匿し、黙秘を続けたならば、おそらく本件の立証は困難で、その起訴は不可能に近いものと思われる。弁護人が弁論において、その点を強調しているのも故なしとしないし、被告人が当公判廷において最終陳述に際し、この捜査機関の背信的行為に対し、深い憤りの発言をしたのも肯べなるかなとの感を深くするものである。

最後に、本件における被告人の所為は、後に記述するとおり、外形的、形式的にはそれぞれの構成要件を充足しているとみられないではないが、これを被告人の主観的な意思や、一般人の法的感覚に照らして観察すれば、それぞれの法規を適用して処罰することは、国家の刑罰権の行使として相当でなく、また、この結論は、刑法の謙抑主義に照らしても、おそらくは過りのないところであろう。なお、本件と同様な事犯に対し、既に他の裁判所等において処罰された事実があるが、裁判はもとより個々独立のものであつて、他の事案も本件と同種のものとは言えるかも知れないが、同一のものとは到底言い得ないし、同一の事案についてさえ、担当裁判官の異ることによつて、異る結論をみることもある。いわんや別の事案ともなれば、その証拠関係も異るし、裁判官が異れば異る結論がとられることも、事柄の性質上また止むを得ないものと考える。

(証拠)(省略)

(二)  本件公訴事実の分析

(1)  本件機器購入の経緯

被告人の当公判廷における供述によれば、次の事実が認められる。

被告人と石原秀博(本件機器の売込人)とは旧知の間柄であること。昭和四八年六、七月頃当時被告人が経営していたデルタ自動機器販売有限会社が事務所を移転するにあたり、石原の尽力で、横浜市中区本町に所在する埼玉銀行ビルの五階に事務所を移転することができたこと。銀行のビルに事務所を置くことは中小企業にとつては、営業上大変有利で、被告人は右石原の好意に対し、深い感謝の念を抱いていたこと。ところが、約一年後被告人は事業に失敗し、ビルの賃料も不払いのまま退去し、右石原に多大の迷惑をかけてしまつたこと。そうしたことがあつて、被告人はその後の事業が順調に進展し、経済的に余裕ができたので、なんとか石原に対し、右不義理の埋め合せをしたいという願望を抱いていたこと。ところが、たまたま長い間交際が途絶えていた石原から連絡があり、本件機器売り込みの話があつたこと。当時石原は、事業も思わしくなく、金に困つていた様子であつたため、被告人の会社として、本件機器はさして必要性を感じていなかつたが、石原の窮状を救い、予ねてから石原に対して抱いていた願望を実現させるよい機会であると考え、右石原の申し出を受け容れ、その要求どおり右機器二台を代金一四四、〇〇〇円で購入し、即日現金でその支払を了したこと。なお、右機器を使用した場合、刑事責任を追及される虞れはないかどうかという点については、右石原から販売元の弁護士が検討した結果その虞れはないという説明があり、被告人はその言を信用して購入にふり切つた経緯がある。尤も、被告人の検察官に対する供述調書によれば右認定に反する供述があるが、右は検察官に迎合して供述した節もあり、むしろ、被告人の当公判廷における供述がより真実を語るものとみるのが自然である。

(2)  法的評価(故意の成立について)

(有線電気通信法違反罪)

弁護人は、公訴事実中の「応答信号」が通信に該当し、有線電気通信法二一条に違反するとする検察官の主張を否定し、同法二条の通信には含まれるが、同法二一条の通信というものには包含されないと主張している。しかしながら、ある法律に用いられる文言は、同一法律内であれば、各本条により別異な解釈を導くことは、徒らに混乱を招くこととなり適当でない。本来刑罰法令に用いられる文言から導かれる概念は、単純かつ明確でなければならず、同一法律内の同一文言は、統一的に解釈されなければならない。従つて、同法二条と二一条の同一文言を別異に解釈すべしとの弁護人の所論は採用することはできない。従つて、本件公訴事実に指摘される被告人の所為は、本法二一条に違反するものと謂わなければならない。しかし、更に仔細に検討すると、右「応答信号」なるものは、本来隔地者への通信を希望する者が電話局に対し、通話の申し出をし、これを受けて、電話局の交換手がその通話先をききとり、交信可能の状態を作出するものであつて、その際当然電話局の事務として、通話の度数、通話に要した時間、その料金等、電話局固有の事務を処理することとなるわけである。これは恰も、水道料や瓦斯料金を徴収する前提として、検針員が各家庭を訪問して検針をし、その使用量を認知する手続に似ている。このような方法が採られるならば、そもそも本件で問題とされるような課金業務妨害の事態は、その発生をみる余地は存在しないわけである。こうした事件が発生した原因は、電話機が改善され、本来交換手によつて行われるべき事務が機械にとつて代わられたためである。従つて、問題の「応答信号」は通信という中に入ることは入るが、その実態は、通話者とその情報を伝えたい相手方との本来の意味における通信とは異り、専ら電々公社の課金業務を遂行するためのものであり、全く異質なものといわなければならない。

従つて、本件が同法二一条に違反することは、検察官指摘のとおりである(ただし、この罰条の法定刑が重いとこからみると、弁護人の指摘にも一理あるかも知れない。)が、その通信の内実は公社の事務処理の一環としての通信であることを念頭におく必要がある。しかも、行為当時被告人の主観としては、右所為が電々公社の課金業務に影響を与えることとなるが、それが同法条に違反する通信に該当するということは知らなかつたとみるのが自然である。「法の不知は怒せず」という法理論で処断されることとなろうが、その結論は被告人にとつて極めて酷なるものと言わざるを得ない。

(証拠)(省略)

(偽計業務妨害罪)

本件機器を取りつけると、発信側が通話した場合、その通話料金が返戻され、本来徴収されるべき電話料金の支払を免れる仕組みになつていることは、関係証拠によつて明らかであり、本件機器の性能につき、或る程度の認識を有していたことは、捜査段階における被告人の供述によつて明らかである。そしてその性能を確知する目的で本件所為に及んだことも明らかである。従つて、右所為が外形的、或は形式的に刑法第二三三条の偽計業務妨害罪を構成することは検察官主張のとおりである。ただ、ある行為が構成要件を充足するからといつて、直ちに、有責、違法な行為となり、刑罰の対象となるかというと必ずしもそのように断定することはできない。更に、その行為者の主観的意図、行為の態様、実害の有無、反社会的規範性の軽重、立件の経緯、他の同種事犯との均衡等諸般の事情を仔細に検討した上、慎重に結論を導かなければならない。なんとなれば、国家が刑罰権を行使することは、被告人に対し、多大の不利益を与えることとなるから、被処分者や社会一般に与える影響、その行為の反社会性の有無及びその行為につき被告人を処罰するにつき、社会一般の人々が如何なる感情を抱くであろうかといつた諸般の事情を勘案して慎重にやらなければならないからである。

(証拠)(省略)

(3)  本件公訴事実における被告人の行為とその評価

関係証拠によると、次の事実を認めることができる。

(イ) 本件機器は、二台のうちの一台で、その付設された電話機は、被告人会社の営業用の電話ではなく、専ら私用で使用する目的の電話であること。他の一台は当初から付設することなく蔵置していたこと。

(ロ) 被告人は、本件公訴事実に記載された日時に一度だけ通話を試みたこと。それは、本件機器につき、石原の説明等でその性能につき、漠然とした認識を有していたものの、なお、半信半疑であり、これを確認する目的で、社員武井一夫に事情を説明し、同人をしてテストさせたこと。

(ハ) この機器につき、電話料金が無償となる機能を有することにつき、確定的に認識したのは、右テストの結果によつてであること。

(ニ) 本件機器の性能がはつきりした段階で、この機器を使用することに不安を覚え、被告人会社の顧問弁護士佐藤利雄に対し、この機器を使用することが、刑事上責任追及の虞れがないか否かにつき、意見を求めたこと。その結果、同弁護士から多少問題があるから、その使用を直ちに中止するよう勧告を受けたこと。被告人は即座に右勧告を容れ、直ちに本件機器を取り外して以後一切の使用を中止したこと。

(ホ) 被告人は、電気製品の販売等を業としているものであるが、電気機器の電気的機能については、格別の知識を有するものではないこと。

(ヘ) 本件機器二台の代金については、石原から賠償をうけておらず、被告人は一四四、〇〇〇円の実害をうけていること。

(証拠)(省略)

(三)  結論

以上一連の事実から、本件における被告人の所為をどう評価すべきであろう。これを法的に評価すれば、被告人の本件所為は外形的、形式的にみれば、刑法の偽計業務妨害罪と同時に特別法である有線電気通信法第二一条に違反することとなり、これらは刑法第五四条の観念的競合の関係に立つものと考える。しかし、本件における被告人の主観的意図(犯意)を考えてみるとかなり問題がある。すなわち、被告人は本件所為に及ぶ際、本件機器をとりつけ使用すると電話料金が無償になるということにつき概括的な認識を有していたに過ぎないこと。その機能を確認する目的でテストとしてなされたこと。その使用もそのとき一回限りで以後一回も使用したことがないこと。テストの結果、電話料金が無償になる性能を有することを確認し、これを使用することにつき一抹の不安を覚え、直ちに自社の法律顧問たる佐藤弁護士にその意見を徴していること。そしてその意見に従い直ちに使用を中止し、機器そのものを取り外していること。この被告人の態度は遵法精神に欠けるものではなく、むしろ一般人としては極めて慎重な態度と評価しうること。そうすると、このテストとしてなされた行為は、刑法上の故意とは明らかに異質なものであり、また、未必の故意としての評価も躊躇せざるを得ない程軽微な故意と言えよう。しかも、本件所為により電々公社に与えた実害は僅かに一〇円に過ぎず、この額は、今日の貨幣価値からみれば、取るに足らず、殊に厖大な利潤をあげている電々公社の実態に着目すれば、まさに九牛の一毛に過ぎないこと。また、有線電気通信法違反の罪にしても、世上一般の通信(隔地者間における情報伝達として機能するもの)という概念からみれば、私人と電々公社の交換手との通信(これは専ら電々公社の課金業務遂行のため必要とされる通信)としての実態を有する「応答信号」への障害(隔地者間の人間同志の意思の伝達としての通信には、格別の支障はない。)が、右法条により、取り締りの対象となるという認識は殆どなく、法の不知は怒せずという考え方をとることは、これ亦被告人にとつて極めて酷な見方としか言い様がない。そこで、私は弁護人が主張するとおり、かりに、被告人の本件所為が、それぞれの構成要件に該当するとしても、刑罰を以て臨むことは相当でなく、結局、本件被告人の所為は、可罰的違法性を欠き、違法性そのものを阻却するものとの結論を導いた次第である。

そうすると、被告人の本件各所為は、いづれも罪とならないから、刑事訴訟法第三三六条の規定に則り、主文のとおり判決する。

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